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3.11におもいを [東日本大震災]

報道では、語り継ぐことの難しさを伝えています。

異常気象による災害、新型コロナウイルス、ウクライナへの侵攻。
生かされた私たちでも普通の生活を送ることが困難な状況です。

11年を迎えるこの年は、自らの防災の備えを確認することだけになりそうです。

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3.11におもいを [東日本大震災]

令和3年2月13日23時08分頃、たまたま起きていました。地震警報は揺れてから届きました。一瞬何が起きているのかわかりませんでした。

しばらく地震が収まっていただけに油断していました。震災の時ほどではありませんが揺れが続き、当時のことがフラッシュバックしました。ただただ恐怖です。
幸いにも亡くなった方の報道が目立ちませんでしたが、後日一人亡くなられた方がいらっしゃったそうです。これでも気象庁の発表では「ひとまわり小さいプレート間地震」だそうです。

10年の節目に震災の記憶が風化するのではと危惧していましたが、地球にとって10年は瞬きほどの時間のようです。

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3.11におもいを [東日本大震災]

この時期になると必ずすることがあります。震災当時の日記を読み返すことです。
もう帰らぬ過去ですが、未来のために学ぶべきことがたくさんあります。

2画面ドキュメンタリー「無人の町から8年~福島県浪江町~」を見ました。
福島県浪江町には帰らぬ過去がありますが、帰るべき未来もありませんでした。
セシウム137の半減期だけでも30年あります。
その間にもマグニチュード(M)8~9クラスの巨大地震が起こる確率は、静岡県から九州沖合にかけての南海トラフ沿いが70~80%と予測されています。

今日の安倍晋三首相談話では「政府は、原発事故の被災者を含めいまだ多くの方々が避難され、長期にわたって不自由な生活を送られている現実を心に刻み、復興を加速してまいります。」と言っています。

2013年9月7日には、福島の状況を世界に向けて「The situation is under control」と言いました。

今日も黙とうを捧げました。
過去に何を学んでどう生かすのか。荒れ地となった浪江町を見て考えました。




3.11におもいを [東日本大震災]

今年もチューリップが芽を出しています。自然の営みには改めて驚かされます。
小さな余震を繰り返しながらも日々暮らしていけることに感謝せずにいられません。

このような中でも、日々福島第一原発から出される大量の汚染水を処理するため、高濃度の廃棄物が出続けています。「仮置き」された廃棄物を保管するタンクの風景は異様なものです。

原発稼働推進派は言います。「電力不足による経済の後退」「原発立地地域への経済効果」「これからの技術発展によりコントロールが容易になるだろう」「100%安全なものなど存在しない」

原発稼働反対派は言います。「処理できない廃棄物を後世に残すことは責任を押しつけている」「一度事故になるとコントロールできない」「廃炉を含めると安価な電力ではない」

物事を進めるにはリスクが伴います。ノーリスクハイリターンはありません。
これからの日本はどちらを選択するのか。

未来の人たちから感謝される選択ができればいいのですが。







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3.11におもいを [東日本大震災]

ランドセルを背負うはずだった、中学校の制服を着るはずだった子どもを思い描き、ランドセルや制服を購入する保護者の方が取材されている報道を見ました。使ってくれることを想像するのは容易なことではないと思いますが、その思いが届くことを切に願います。

明るい話題もありました。東松島市立宮野森小学校の校舎が完成したというニュースです。東松島市の野蒜小と宮戸小が統合してできた小学校です。木造のとてもすてきな校舎でした。以前、震災後に野蒜地区に伺ったときは野蒜小まで足を運ぶことができませんでした。時間がなかったとはいえ残念だった記憶がよみがえってきました。当時1年生だった児童を、新しい校舎で学ばせたいと建設が急ピッチで進められたそうです。

自分の天下りしか考えていない官僚や、教育勅語を幼児に暗唱させ、「安倍首相がんばれ、安倍首相がんばれ、安保法制国会通過よかったです。」と言わせ喜んでいる輩には一生理解できないことです。

ニュースでは元気に走り回る児童の様子が見られました。震災の記憶のない児童もいるかと思いますが、きっと未来を明るく照らし復興を後世に伝えてくれるはずです。




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3.11におもいを [東日本大震災]

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女性はいつまで経ってもお雛様を飾ることは嬉しいそうです。
私にはうまく理解することはできませんが、今年も小一時間かけて飾りました。
飾ったあとは一緒に写真を撮ります。毎年笑顔です。

4年前、多くの家に子の幸せを願い飾られていた多くのお雛様が、あの黒い津波に飲み込まれました。
冷たい海に流され漂い、幸せを見守ることなく冷たい海に沈んでいったことでしょう。

そして今、飾られることなく見守られる人もないお雛様が深い闇に身を置きながら、時がたちその身が朽ち果てていくのをただただ受け入れていくだけでしょうか。

見守り見守られ

今日も我が家のお雛様がここにある喜びを深くかみしめます。

石巻へ [東日本大震災]

クケちゃんのことで石巻に行きましたが、どうしても行きたいところがありました。

児童74人死亡・行方不明となった石巻市立大川小学校跡です。

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震災直後のがれきが散乱した様子とは違い、ずいぶんと片付いていました。

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まわりは土木工事が進んで時間が経過しているのがわかります。
ですが、ここは時間が止まったような趣です。

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よくみると草花が生い茂り、鳥が鳴き、虫たちが縄張りを争うように活動しているのをみるとここにも時間の流れが存在するのを認識することができます。
時間が止まった趣は、亡くなった子供たちを思う遺族の方の忘れたくない忘れられない思いがこの場の時間を強く押しとどめているのではないかと勝手に想像します。

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元気で明るい声が響き渡っていたと思われる場所は、行きかうダンプの走行音に変わっていました。
外観から想像するにきっと素敵な校舎だったでしょう。ここで楽しく学び、遊び生活し、生活するはずだった筈です。あの日あの時が来るまでは。

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もう二年以上も経ちました。そしてまだ二年しかたっていません。
昨日も今日も、明日も未来もない子供たち。そして残された者たち。時間の違いが大きく横たわり、乗り越えることも変えることも壊すこともできないことに、悩み苦しみ、そしてまた生きていく。
多くの方が直面したであろうことに、わたしは何もできませんでした。

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二度と子供たちが訪れることのない校舎は、立ち入り禁止のロープが張られ、ただこのまま朽ち果てるのを待つばかりです。子供たちの訪れることのない校舎は一番の願いをこのままかなえることなくあの日の悲しい記憶を抱えたままただ建つことになってしまいました。誰が望んだわけでもないことをじっとこらえるように。

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遺族の方が維持管理されているとのことです。訪れる人も絶えることがありません。
ですが過去に当然の光景だった楽しいこどもたちの声はひとつもありません。
誰一人声を発することなく、ただ静かに祈りをささげるだけです。

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願わくばこの場所がまた子供たちの明るい声で埋め尽くされることを。

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3.11におもいを [東日本大震災]

はやいものでもう2年たちました。
いまでも強い揺れが来ると頭に恐怖が突き刺さりますし、震災後のつらい思い出がよみがえります。
立っていられないほどの強い揺れ。停電。ラジオから流れる断片的な情報。食料品の供給不足。ガソリン購入に並ぶ長蛇の列。
そのときの記録がメモ用紙に残されていますが、いい思い出が一つとありません。

幸いにして、いますんでいるところは震災地から遠くはありませんが、被害が大きくありませんでした。ですが、被災地ではいまだ復興が進まず、ふるさとに戻れなく避難されている方が本県にもたくさんいらっしゃいます。

各地で追悼式典がとりおこなわれたようです。

せめて、なくなられた方の魂がやすらかでありますように。

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